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自分の愚かさに気がつくと 新しい生き方が開かれてくる (本多 雅人 氏)
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| 去る二月二十日、第三十二回日本アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など十部門を「おくりびと」が独占し、二日後の二十二日、第八十一回アメリカアカデミー賞外国語映画賞に同作品、日本の「おくりびと」が選ばれました。日米のアカデミー賞を受賞したこの作品は、納棺師を主人公としたもので、原作は実際に納棺師を永年経験された青木新門さんの著書『納棺夫日記』であります。
今から十五年前、この映画の主演本木雅弘さんがインドを旅した本に青木さんの著書の言葉を引用させて欲しいという申し出から交信が始まったそうです。その言葉とは「蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という、納棺師時代に一人暮らしの老人が真夏に亡くなって、一ヶ月も放置されいた遺体を納棺に行った時に青木さんが感じられて文章にした一部だそうです。「…最初はどきっとしましたが、部屋中に這い出した蛆を箒ではき集めているうちに一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきたのです。蛆が捕らわれまいと必死に逃げているのです。蛆も<いのち>なのだと気づきました。すると蛆たちが光って見えたのです。その家から外へ出ると目にするあらゆるものが光輝いて見えるのでした。…」著書の中ではこのように著しておられます。
本木さんがインドで感銘を受けたことに対し青木さんが「…人々は遺灰が流れる川で沐浴し、岸辺では死体を焼く煙の中を、乞食や巡礼者や子供や犬などがうろつき、死を待つ人と聖者と牛が悠然と座って居る。まさに生と死のカオス。そんな場所に立ち、当時二十代の彼が「蛆の光」に共感していることに私は驚きを覚えた。なぜなら蛆の光こそが『納棺夫日記』のテーマだからである。もし映画化することがあれば本木雅弘君をおいて他にいないと確信した。あれから十五年の歳月を経て彼は「おくりびと」という光あふれる美しい作品を世に出した。…」と賞賛しております。
青木さんは納棺師という仕事を通して、本木さんはインドへ行かれガンジス川を中心とした生と死が当たり前のようにつながっている空間を体験し、それぞれ「生死一如」の世界を見開いたことかと思います。換言すれば、生死一如の真実の方から、「死」を悪しとし目を背け「生」という好ましいものだけを追い求め、生死を分断しそれがゆえに迷い悩める人間の愚かな姿を知らしめたのです。私どもも、本当は縁の深い亡き方々から、その大切な導きを受けております。お寺へのご縁を結んでくれた亡き人は、大谷大学初代学長清沢満之先生の言葉を借りるならば「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり」ということを身をもって示されております。ですから、私どもは亡き人を偲び、死すべきいのちをどう生きることが本当の生き方であるのかを、亡き人を縁として教えに尋ねていくのであります。また、そのことが亡き人を諸仏と讃嘆することであり、私どもが亡き人への讃嘆供養することでありましょう。
三月のお彼岸もまた、その大切な亡き人との結びつきを再確認する日本独特の行事であります。 先ほどご紹介致しました青木新門さんが次のような詩を書かれています。
人は必ず死ぬのだから いのちの バトンタッチがあるのです 死に臨んで先に往く人が 「ありがとう」と云えば
残る人が「ありがとう」と応える そんなバトンタッチがあるのです 死から目をそむけている人は
見そこなうかもしれませんが 目と目で交わす一瞬の いのちのバトンタッチがあるのです |
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